元ブログ中毒者の独り言。
(解体中のメタボ阪急ですが、本文とは一切関係がありません)
3年ほど前まではかなりのブログ中毒者でした。
最低2~3日に1回は更新したり、コメントには即レスしたり。アクセス数に一喜一憂してみたり。
あれです、コミュニケーションが可視化されているのがいけないと思うんですよね。
アクセスカウンターとか、コメントとかTBとか、自分のアウトプットに対して反応が数字で返ってくる。
これはやはり中毒性が高いです。記事のUP後アクセスが上がらないかなとウオッチしてみたりしてました。
そしてまた自分とブログ読者をつなげているものは基本的に読者の気まぐれに過ぎないということも
心のどこかでわかっていました。なので面白いことを更新し続けれなければ、今のアクセス数を維持できない。
以前のエントリーで同様のことを書きましたが、会社での個人目標とかはあっさりあきらめるのに、
1円にもならないブログ更新でここまでがんばるのはブログの更新が自己実現の重要なツールとして
自分の中に組み込まれてしまったというのが原因なのだと思います。
ブログを始めた当初は伝えたいことがあるから始めたのに、
どこかのタイミングでブログを書くために伝えることを探すという逆転現象が発生します。
例えば旅行に行っても記事3つ分の写真が撮れたなあ。とか本末転倒な事になるし、
奮発してコース料理を食べに行っても食事が出てくる度に写真を撮るので
そこで相方との会話が途切れたりするわけです。あまりカッコいい事だとは思えません。
また最近のツイッターブームですが、僕は1日で辞めちゃいましたけどハマる人の気持ちはわかります。
しかもブログよりたちの悪いことに、ツイッターではよくみなさん『○○なう』とか呟いているそうですが、
閲覧なり更新の欲求が分単位で発生するわけですねこれ。
僕の場合、ブログ中毒最盛期でも1日十数回の閲覧ですみましたけど、ツイッター中毒はツラいと思います。
常にツイートしていたいわけですから。
そんな状態になってしまったらどうすればいいかというと、
もう泣きながらアカウントを削除するしかないと思うんですよね。強制的に切り離すしかない。
僕は結婚して子供もできたから半強制的に離れられましたけど。
こんな事を考えていると思い浮かぶ映画があります。
以下ネタバレ含みますが、ジムキャリー主演の『トゥルーマンショー』という映画です。
東京ドームの何百倍か何千倍位だかの大きさのドームの中に海の中に浮かんでいる人工の島があり、
ジムキャリー演じるトゥルーマンはそこで暮らしているんですが、実はそれ全部セットで、
トゥルーマン以外の住人は(奥さん含め)全員が俳優で、トゥルーマンの生活の一部始終がバラエティー番組
としてテレビで中継されているというちょっとブラックなコメディーです。
映画の終盤でそのカラクリに気がついたジムキャリーが外の世界に踏み出そうとしたときに
番組的には最高に盛り上がり、実際に外に出た所で終わるのですが、
一番最後にその番組を見ていた視聴者が『終わったか、早くチャンネルを代えろ』みたいな事を言います。
長くなりましたがブログなりツイッターなりの中毒患者とこの映画の構造が重なってしまいます。
リアルと虚構の狭間が明確でなくなり、そこで一人の人間として一所懸命生きているわけですが、
もしかしたら自分の人生は他の誰かに代替可能なのではないのだろうかと。
自分の存在の軽さに耐え切れなくなり、ネットでの充実を試みるものの、砂漠に水を注ぎ続けるような
不毛な気持ちが続いているだけではないのではないか。
結論は飛びますが、やはり結婚して子供を育てることなのではないかと思うんですよね。
生命力の塊と日々接して暮らしていると、毎日大変ですがそれだけで充実した気持ちになれますしね。
リア充と言われればそれでおしまいで、またお金とかの心配は別であったりするわけですが、
今のところの僕なりの結論です。