GOKAN 北浜本館
この前の三連休で大阪・京都に行ってきました。
北浜にあるGOKAN にも行ってきたのですが、ここのケーキはやはりおいしいですね。
イートインでケーキを頼むと、小さいシャーベットと一口サイズのパウンドケーキも添えられますし、
ホットコーヒーもポットにたっぷり2杯分入っていました。おいしいしお得です。
関東にないのが残念ですね。
近代建築の外壁保存は、なぜトホホ建築となってしまうのか?
東京銀行協会(1993) 外壁2面のみを残し、高層化。
まず、私たちが暮らしている現代の街を思い出してください。
街はガラス張りのビルが林立しており、重厚な近代建築は保存が求められるほど数が少なくなりましたが、
まだ点在しています。
私たちが生まれた時からその比率こそ変われど、現代建築と近代建築はすでに街の中に当然のように
混在していました。私たちはこの景色に見慣れてしまっています。
想像みてしてください。ガラス張りの現代建築が登場する前は、レンガ作りなどの重厚な近代建築の時代が
あったはずです。
そんな重厚な近代建築の街にツルピカのモダンデザインが現れた時には、それはとんでもない衝撃
だったんだと思います。シュレーダー邸とか、サヴォア邸とか。
実はモダンデザインの建築(現代建築)は、そのデザイン・思想において近代建築との間に断絶があるんです。
藤森照信先生の「日本の近代建築(下)」を引用します。
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モダンデザインの歴史は、近代と言う科学技術の時代にふさわしい合理的で機能的な
建築表現を求める過程であった、といえる。
ゴシックが神の時代を表現したように、モダンデザインは科学技術の時代を表現した。
その意味では、モダンデザインも一つの歴史様式といえるのだが、しかしモダンデザインの
展開過程はゴシックやルネッサンスとは明らかに異質と言わなければならない。
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歴史と文化に依拠した歴史主義の近代建築が、産業革命以降の科学技術の発達で空洞化したことにより、
20世紀初頭の建築家たちが過去の歴史主義に寄らない形態として生み出したモダンデザインなのです。
というわけで、近代建築とモダンデザインには深い断絶があるわけですね。
前置きが相当長くなりました。、トップの写真は東京銀行協会です。
松井貴太郎の建築を外壁だけ残して高層化した、いわゆる近代建築の外壁保存です。
一目見ていただければわかるのですが、かなりの無理矢理感を感じます。
その理由の一つが、上に書いた長い前書きです。断絶のある近代建築とモダンデザイン(現代建築)を
このような形でつなぎあわせたら、木に竹を接ぐどころではない齟齬が生じるのは当然と言えます。
また近代建築は、煉瓦造りであることも多く、構造的に窓がどうしても縦長になります。
しかし現代建築は横長の窓が基本で、むしろ全面ガラス張りだったりするわけですから、
外観も正反対の要素を持っています。
そういったひとつひとつの負の積み重ねが、この建物を見たときのなんとも言えない居心地の悪さの
正体なんです。
しかし、なぜこのような建築が作られてしまったのか。
素人考えでも、完全に取り壊して新しいビルを建てるほうが、近代建築の外壁の薄皮1枚残して、
新しいビルを建てるより楽なはずです。
この建築の出現は近代建築の保存運動の高まりによって、それに答えるための解決の一手法で
あることは疑いようがありません。
ですが、近代建築どころかモダンデザイン(現代建築)もバカにしているのか.
と思わず言いたくなってしまうところが、よかれと思ってしたことがすべて裏目に出てしまうという、
好きな異性に対する思春期前半の中学生の振る舞いのようでほほえましく感じたりもします。(ほんとか)
ほかにもいくつか見てみましょう。
港町ヨコハマが誇るトホホ建築である日本火災横浜ビル(1989)です。
外壁保存のはしりですね。
横浜関連の雑誌の記事などでこのビルが写っているときは、なるべくガラス面を見せないような
工夫をしているところが大変趣き深いです。
神戸も負けていません。神戸地方裁判所です。
ガラス面を目立たないようにして、2階までのレンガ建築の部分を際立たせようとしたらしいのですが、
薄くなった髪を目立たせないようにして、被っているものが逆に目立っているような、趣き深い様相を
呈しているところがたまりません。
とまあ、悪い例ばかりを書きましたが、わりとうまくいっている外壁保存もあったりします。
今回紹介した外壁保存は、近代建築の保存意識と日本特有のスクラップ&ビルドの狭間に生まれた
鬼っ子達です。
今後、近代建築の完全保存が多くなる方向に仮に進んだとしたら、これらの建築はその過渡期に
生まれたトホホ建築なんだよ、と遠い目をしながら語ってあげたいと思います。
引用した藤森照信先生の本です。
モダンデザインに関する考察には目からうろこが落ちました。
- 藤森 照信
- 日本の近代建築〈下 大正・昭和篇〉 (岩波新書)
大阪万博のコイン
実家に遊びに行ったとき偶然に見つけて貰っちゃいました。
大阪万博のソビエト館のメダルと、記念の100円硬貨(本物)です。
祖父と祖母が実際大阪万博に行き、そのときに買ってきたものだそうです。
すごい混みようだったらしく、ソビエト館とスペイン館ともうひとつくらいしか行けなかったそうです。
デザインがとてもかっこいいですね。
大阪万博が好きな方にはかなりおすすめの本です。僕も持っています。
- 中和田 ミナミ
- EXPO’70
<聖地>赤羽台団地に行ってきた
というわけで団地好きの聖地、赤羽台団地に巡礼して来ました。
赤羽台団地は1963年(昭和38年)に完成です。
戸数3300戸、都内初の大規模団地開発で、単身者から4DKのフルファミリーまで想定していたそうです。
そんなわけで赤羽台団地は以降の団地のモデルとなるべく開発されたんですね。
団地に限らず、黎明期というのは試行錯誤の連続ですから、赤羽台団地ではいろいろなタイプの
団地が建てられており、見ていて楽しいんです。カンブリア紀の生物みたいで。
昭和40年代になるとだいたい団地のタイプも決まってくるので、やはり30年代ものがお勧めです。
しかし、テレビで見て知ったんですが、昭和30年代に建てられた団地はすべて立て替える計画があるらしく、
見るなら今のうちです。
<スターハウス>
赤羽台団地のスターハウスは全部で8棟あり、すべて南側に建てられいます。
そもそもスターハウスってなんですか?という方のためにちょいとご説明しますと、
上からこの団地を見ると、Y字型になっており、星形のようなのでスターハウスというわけですね。
なんでこんな面白い形かというと、団地が単に規則的に並んでると単調なイメージとなってしまうため
アクセントとしてスターハウスが配置されたそうです。
スターハウスがある団地は全国にいくつかあるらしいのですが、昭和40年代以降にはコスト高の理由
などにより作られていません。
ということは、近い将来スターハウスはすべて取り壊し。ということになります。
そのスターハウスの階段です。このような螺旋階段になっています。
<全体図>
スターハウス以外もたくさん見てきました。
上の写真は赤羽台団地の案内図です。わかりにくいですが下部分(南側)にあるのがスターハウスですね。
<神社>
なんと団地内に神社があります。猿田彦大神が祀られているそうです。
<シュールな公園たち>
赤羽団地は公園がなぜかシュール。
これはおばけ公園。普通にこわい。
ここはくらげ公園。なんでくらげになったのか。
シーソー公園。
すでにシーソーはありません。
ハトのいる公園。滑り台も兼ねています。
ここの公園の名前はわかりませんが、象さんのはながなくなっています。
うわさの泣きライオンです。
<商店街>
団地内には商店街もあります。
赤羽台団地をはじめとした公団住宅は近隣住区論の影響が強いので、商店街があるのはわかりますが、
まだ営業しているとはちょっと感動です。さすがに、活気があるとは言えませんでしたが・・・
ちなみに「団地内商店街」・「間近に小学校」・「団地内に幹線道路なし」の近隣住区論3点セットを当然
赤羽台団地は満たしています。
<噴水>
50号棟と53号棟に囲まれた中庭(?)に噴水がありました。
もう水しぶきがあがることはないのでしょうか?
<その他いろいろ>
50号棟(右)の下には商店街があり(上の写真参照)、53号棟(左)は単身者向けの棟で、
L字型になっています。
これは33号棟なのですが、この出っ張った部分は廊下です。
廊下が奇数階にのみにあります。スキップフロアといいまして、
たとえばエレベーターで6階にあがり、階段に5階に下がります。宅配便泣かせですね。
団地の中で面白かったのが、入り口を正面としたときに、階段が正面と平行になっているタイプでした。
たしかに外から見ると四角い団地と、階段の斜めのラインの組み合わせが面白いのですが、
1階部分がこの写真のようにデッドスペースとなるため、そこに郵便受けを設けているのですが、
上の階の人は1回下に降りてから上にあがるという動線となってしまっています。
このような階段は他の団地ではあまり見たことがなかったので、進化の途中で淘汰されたものの
ひとつでしょうね。(って住んでいる方ごめんなさい)
給水塔です。
給水塔はそれだけでマニアの人いるほど魅力ですが、このマッシブさがたまりません。
給水するという機能を超えてもはやモニュメントですね。
<取り壊し>
このような感じで、順次取り壊し、建替え中です。
<新旧>
右が赤羽台団地の建替えたヌーヴェル赤羽台です。
今だとなかなか想像できませんが、昭和30年代の高度成長期、団地は羨望の的でした。
その時代の勢いや、理想を赤羽台団地から感じ取ることができるので、とても魅力的なのだと思います。
そんな日本の繁栄のメルクマールが、いま姿を消そうとしてます。
東京という街そのものがメタボリズム建築と化した姿を天国の黒川紀章さんはどう思っているのでしょうか?
<おまけ>
僕も即買いした、唯一の団地本です。
記事も書きました。
こちらからどうぞ。
http://pomg.ameblo.jp/pomg/entry-10033358769.html
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