旧露亜銀行横浜支店
露亜銀行。大時代的な名前ですよね。
大正10年頃の建築だそうです。関東大震災も、第2次大戦の空襲もくぐり抜けたということですね。
現在は使われておらず、異様なオーラを発してしまっている気もしないでもないですが、
気合の入った建物が経年劣化するとものすごい雰囲気になるのは何故なんでしょうか。
以前何かで読んだのですが、建築は巨大すぎてホルマリン漬けにすることが出来ないため、
その時代に応じた使用方法を模索しつつ、有効活用していかねばならない。
と書いてありました。レストランとかにしてくれたら、是非行くんですけどね。
場所はコチラです。googleのストリートビューでどうぞ。
http://maps.google.co.jp/maps?f=q&hl=ja&geocode=&q=%E9%96%A2%E5%86%85&ie=UTF8&ll=35.446241,139.644637&spn=0.00106,0.001727&t=h&z=19&layer=c&cbll=35.44571,139.644536&panoid=HuckyDBKkxhGFXisz-qJVg&cbp=1,69.74374018359896,,0,-14.340701059317635
帝蚕倉庫のいま
2008年8月時点の帝蚕倉庫です。
解体がかなり進んでいます。帝蚕倉庫北仲営業所倉庫は保存される1棟を残し、解体されました。
白いモダンなビルだった帝蚕倉庫第一帝蚕ビルも解体されました。
クレーンが特徴だった帝蚕倉庫H号倉庫も解体すでに解体されているのでみなとみらい側が
よく見えるようになりました。
跡地は森ビルが再開発 するそうです。
横浜ヒルズとかになるんですかねえ、でも海がすぐそこだしヒルズはないか・・・。
帝蚕倉庫。
名前に蚕という文字がある通り生糸貿易のため、保税用に建築された倉庫です。
当時はこの倉庫まで線路が敷かれていて、生糸を運んできたそうです。
生糸は八王子から運んできたものが多かったそうです。
八王子は生糸の一大産地で、また集積地でもあったそうです。
そういえばユーミンの実家は老舗の呉服屋さんでしたね。
ちなみに横浜線も当初は生糸を運ぶために作られた横浜鉄道という私鉄が前進だそうです。
もはや生糸は外貨獲得のための国策製品ではなくなり、墓標のように帝蚕倉庫だけが残されていましたが、
姿を消すことになります。
まあでも一部は保存されるということなので少し安心しています。
来年は横浜開港150周年です。
次の世代にも誇れる施設を作ってほしいですね。
帝蚕倉庫の写真を少し・・・・
<定点観測>
2年くらい前ですね。取り壊し前です。
こちらが多分3ヶ月くらい前の写真。
まだまだ過去に撮った写真があるので、機会があれば公開しようと思います。
Flickr
実は前からFlickrを使っていたのですが、しばらく放置していました。
写真はすべてこのブログ内で既出のものですが、まとめて見ることができるので
よろしければご覧になってください。
これからもちょくちょくお気に入りの写真をアップロードするつもりです。
http://www.flickr.com/photos/99841770@N00/
写真はすべてこのブログ内で既出のものですが、まとめて見ることができるので
よろしければご覧になってください。
これからもちょくちょくお気に入りの写真をアップロードするつもりです。
http://www.flickr.com/photos/99841770@N00/
なんともいえない建築
本牧にあるビル(?)です。
2階の外壁のみ辰野式ぽい赤レンガの近代建築を残したうえで、建て直しをしたと思われます。
もともとどのような近代建築であったかを探したのですがわかりませんでした。
このビルは1階と吹き抜けになっている地階にそれぞれちょっとした広場があり、
低層階がテナント、高層部分がマンションとなっています。
このスペックだけをみると、地域の各となる商業施設の必要条件を満たしていますが、
テナントの半分も埋まっておらず、一番栄えていそうなのがケンタッキーと古本屋さんという
状態でして、のぼりの数が増えれば増えるほど寂寥感が増しそうな趣深さを感じてしまいますが、
組み合わせてはいけないものを組み合させてしまった罪を背負って生きている感じがなんともいえません。
現在のこの建物もおそらくマイカル本牧ができたころ(1989年ごろ)の建物だと思います。
バブル建築ぽいですね。
モダニズム建築探訪 ~ 東京交通会館
有楽町駅をイトシア側に降りてすぐにある東京交通会館 です。
1965年に建てられたモダンなビルです。
このビルはこの角度からがいちばんかっこいいかなあと思います。
TOKYO KOTSU KAIKANの文字の部分が船の舳先みたいで。
たまにテレビで紹介されていますが、最上階にある「銀座スカイラウンジ」 は、回転展望レストランです。
1時間で360度回転するらしく、なんというか大時代的だあと思います。
是非一度行ってみたいですね。
阪急百貨店 うめだ本店 定点観測
この前用事があって大阪に行ってきました。
あまり時間がなかったのですが、阪急梅田がいまどのようになっているかを見てみたかったので、
行ってみました。
大阪に住んでいた時はいつも曽根崎警察の前から写真を撮っていたので、定点観測してみました。
一番上の写真がおそらく3年ほど前、まだ取壊しが始まる前の阪急梅田です。
真ん中の写真が、1年半ほど前だと思います。
丁度取り壊しが始まったころです。
そして一番下の写真が4月の半ばごろのものです。新しいビルが出来つつあります。
完成したらこのような外観 になるみたいです。
今流行のイメージ保存+高層建築ですね。
なぜ都市の廃墟に既視感を感じるのか
ビルの廃墟を見るとなぜかなつかしいものに再び出会った気がします。
特に小さいころにそんな場所に行ったりしたわけではないんですが。
なぜ既視感を覚えてしまうかと言うと、それは間違いなく大友克洋「AKIRA」 の影響だと思います。
映画版の「AKIRA」が公開されたのは1988年で、そのころ僕は小学生でした。
話はあまりよくわからなかったのですが、第3次世界大戦で破壊されたネオ東京の描写はとてもリアルで、
強烈な印象があったことを覚えています。
バーチャルではあるものの、都市の廃墟が僕の原風景のひとつとなっています。
そんなわけで廃墟に惹かれたり、ヤノベケンジ が好きだったりするんでしょうね。
ちなみにこの写真は取り壊し中の赤羽台団地団地です。
去年の写真なので、もう完全に取り壊されていると思います。
- AKIRA DTS sound edition
- ¥3,064
- Amazon.co.jp
- ヤノベケンジ1969‐2005/ヤノベ ケンジ
- ¥3,790
- Amazon.co.jp
帝蚕倉庫群、取り壊し中
帝蚕倉庫の取り壊しが始まったので見に行ってきました。
写真右の倉庫がアサガオに覆われて、取り壊しが始まっていました。
ちなみに下は1年ほど前の同じ地点からの写真です。
これは汽車道から見ることができたクレーン付きの倉庫でした。
8割方解体完了といったところでしょうか?
壁に蔦が這っていてなかなかいい雰囲気の倉庫だったんですが。
こちらの倉庫もアサガオに覆われつつあります。
真ん中に穴を開かれていて、今はブルーシートで覆われているんですが、
おそらく取り壊しで出るガラの搬出口に使用するんでしょうね。
で、取り壊した後はかなり大規模な再開発 となるようです。
六本木ヒルズやミッドタウンのようなブランド地区にしていきたいってことなんでしょうね。